六条さんのおいでには 並や大抵のことでない
  エー そそうなきよう たのむぞえ

海山へだててこのような 知らぬ山家の果てまでも
  エー 悪人助けよう ばっかりに

土手久心に思うには いかなるごえんでこのような
  エー 御舟のお供を いたすやら

水にうつろう御姿を 後よりおがむありがたさ
  エー 未来の果てまで お供する

わしの父さん母さんは 京の三條又三條
  エー 合わせて六條 じゅず屋町


1 奈佐節とは
 節は、今から約600年前、南北朝時代に生まれたといわれている。詞は、安永9年(1780年)、水害に見舞われた但馬地域への慰問に、京都六条堀川にある西本願寺第17代住職法如上人が訪れた際、歓迎の意をこめて歌い踊ったことが現在の形の始まりとされる。それから、この曲節は「六条さん」と呼ばれるようになり、広く豊岡地域で親しまれた。

 戦後、踊り手が減り、一時消滅しかけた。その後、校区の福成寺地区青年会が踊り継ぎ、平成元年には奈佐地区住民が「奈佐節保存会」を結成し、「奈佐節」の名で歩み始めた。現在、豊岡市無形民族文化財に指定されている。

二人一組での踊りやステージに張った特別な幕から踊り手が現れるのが他に類を見ない芸能である。

 年々、保存会会員の高齢化が進み、現在では大人だけで奈佐節を演じることはなくなってしまった。伝統が消えてしまうとの声が上がり、平成6年、奈佐小学校に「奈佐節クラブ」が発足することになったのである。
 
2 奈佐節クラブの活動
 奈佐節クラブは、地域の伝統芸能である奈佐節を、子どもたちに引き継いでいきたいという地域と学校の熱い思いで結成された。クラブ活動の指導は、奈佐節保存会の方々を中心に、保護者、学校の教職員が協力しながら行っている。毎年、2年生以上の希望者を募り、昨年度は25人、今年度は31人の児童が加入した。年々児童数が減少する中で、今年度からは、6年生を基本的に全入とした。毎年、半数程度の児童がこの奈佐節クラブに加入し活動している。

 奈佐節クラブの練習では、保存会の指導を受けるが、子どもたちが目標設定から振り返りまで、主体的に運営する。練習は、夏休みから始まり、11月・12月に行われる「奈佐地区文化祭」「豊岡市民芸能祭」「老人ホーム訪問」「三世代交流そば打ち」などで披露している。

 練習や舞台発表には、かつて奈佐節クラブに所属していた中学生や高校生・大学生も加わり、一緒にステージを盛り上げる。奈佐節でつながる地域ぐるみの取組となっている。
 
3 パートと楽器について
 奈佐節は、踊り・拍子木・太鼓・横笛・三味線・歌の5つの役割がある。初心者や低学年の児童は、歌や踊りから始める。熟達を求められる横笛・三味線は、経験豊富な上級生が担当する。


踊り
男踊りと女踊りがあり、両方とも女性が演じる。
円山川をゆく船頭と法如上人をペアで表現する。
文化祭の舞台発表


拍子木
二人の呼吸を合わせるのが難しい。

横笛
はじめは音が出ないし、息が切れる。

三味線練習風景
初任者には難しく、最も練習を要する楽器である。
子どもたちの他、保存会の方々・保護者・卒業生が加わる。
三味線の楽譜がなかったが、三味線を習っていた
当時の本校職員が、楽譜に起こしたことは、特筆に値する。

法如上人の喜びを船頭目線で歌う。



4 育てたい、ふるさとの誇り
 ふるさと意識は、人が生きていく上での基盤である。奈佐は、地域ぐるみで子ども達を育てていく雰囲気に満ちており、多くの行事の中でも「奈佐節」は独特の色彩を放っている。奈佐節クラブの役割は、単に伝統文化の継承にとどまらない。同じ土地で、同じ風を感じ、同じ体験を重ね、同じ感動を味わう。つまり、共通の感覚を持つことができる。地域の一員として、ふるさとに誇りを持ち、堂々とふるさとのよさを語る子どもたちが育っている。奈佐節は、人と人、過去・現在・未来をつなぐ大きな役割を担っている。子どもたちは奈佐節を通じて、ふるさとの「人」「もの」「こと」をまるごと体験している。今後は、地域の学校としての役割は大きいと考えている。将来、地元に残る子も、外で生活する子も、「奈佐節を支えていく」という共通の思いで、地域とつながり続けてくれることを願っている。奈佐節クラブにより多くの子どもたちが参加することで、末永く、ふるさと意識を育んでいきたいと考えている。